2014年2月13日木曜日

Joe Grantが日本に残したもの

2013年風光る季節、私は昭和の香りがまだ残る都内の割烹居酒屋で、Joe Grant(ジョー グラント)に会っていました。初めての印象は、物静かで温厚な好青年といった様子に見えていましたが、話をするうち、好奇心旺盛で探究心がある旅慣れた一人のバックパッカーのような印象を持つようになりました。

そもそもなぜJoe Grantが日本に来ることになったのか...
それは遡ること2012年12月、兵庫県芦屋にあるSky High Mountainworks(スカイハイ マウンテン ワークス)さんで行なった、とあるトレイルランニングイベントでのこと。香川県在住のウルトラトレイルランナー尾形氏から、「以前から親交のあるJoe Grantが、プライベートで日本に来たいと言っているので、サンウエストで何かできないだろうか?」と言う何気ない一言から始まりました。その話を聞いた時、私は初来日にも関わらず、プライベートで来る、という事に一瞬「?」が浮かびました。彼のように名だたるブランドからスポンサードされるようなトップアスリートであれば、当然のようにレースをメインにし、派手にPR活動をすると考えていたからです。直ぐに私の浅はかな先入観的は脆くも崩れ去ることになります....。

私達サンウエストは、Joe来日の実現に向けて早速動き出すことにしました。「それならば」と、日本独特のトレイルや文化を知って欲しいと願い、賛同してくれる仲間達へ協力を求め、声をかけることに。快く賛同してくれた各地の仲間によって支えられ、Joeの日本トリップは、深く意味のある極上の時間となっていきました。

滞在中は、前半を関西方面へ後半に関東方面へと移動。六甲でのスクランブリング&ランでトリッキーな走りを披露した後、前半のハイライトでは、熊野古道・小辺路の約70キロを高野山から熊野本宮大社まで1日で走り抜けました。京都での比叡山ランでは、白装束の行者に偶然遭遇し、寺から聞こえる読経に耳を澄ませる場面もあり、後半では、箱根の山々を走り抜け、雪面の富士山をファスト&ライトで駆け登りました。

計4回のスライド&トークショーでは、走る事と自分の事について真剣に語り、言葉の一つ一つにストーリーを感じ、観客の心をギュと掴んでいました。

そして、温泉が心底好きで、誰よりも長く湯に浸かり、タオルを頭にのせて話す様は、まるで日本人のような気にさせ、彼の走る姿に誰もが沸き立ち、共に走れたことに多くのランナーは、刺激と感銘を受けたことでしょう。
Joeが日本に残したモノは、言葉では直ぐに言い表せないことのような気がします。出会った人全ての人達が、それぞれの心と身体に染み込ませながら、走ることや語ることで伝わる感覚的要素と実践的行動によって、次があるように思えるからです。

Joe Grantが日本各地をトリップした模様は、彼の来日に賛同をして頂き、惜しみなく協力をしてくれた皆さんのブログや書籍、Joe本人のホームページより振り返ることができます。その一部をご紹介します。

Sky High Mountainworks 北野氏のブログより。

小辺路を案内して頂いた山岳ガイド、新名健太郎氏のブログより

雑誌WILDERNESS(エイ出版)より。文:岩佐幸一氏 写真:藤巻翔氏

Joe Grant HP

このブログを書いている最中、コロラドに住むJOEから連絡が入り、2014年風光る季節に、「再び日本に来る」との話しがありました。「来日の目的は?」と尋ねると、「UTMFに出場するため」と一言。この言葉に私は少し驚きを隠せませんでした。
さらにJoeが「一般エントリーをして抽選に通ったので、サンウエストにサポートをして欲しい」と二言目。私はこの二言目でさらに驚きました。招待選手ではなく、自ら選んでUTMFに参戦する、その彼の考えに、私は同じランナーとして一人の人間として、また心を打たれてしまったのです。そして「サンウエストにサポートをお願いしたい」と言ってくれていることに、とても感無量でした。

もちろん、我々サンウエストと仲間達が、前面バックアップをするつもりです。今度はどんなモノを日本に残してくれるのでしょうか。Joeの瞳の奥にある強い決意とやさしい眼差しが私の頭を交差し、今から待ちきれない思いでいっぱいになっています。

サンウエストは、2014年UTMFに出場するJoe Grantを仲間達と共にサポートします。富士山の麓を走り抜けるJoeの勇姿を、是非楽しみにしていてください。

Joe Grant















Phote by SHO FUJIMAKI

サンウエスト
川田







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